「意識」と「無意識」と「病気」について

 

「人間はほとんど毎日、無意識状態で生活している。」と言うと、大部分の人は「ばかやろう。そんなこと、あるはずがないだろう。」とか「俺はきちんと毎日いろいろなことを意識しながら生活している。」と反論するだろう。しかし、本当にそうだろうか?


あなたは、歩くときに右足、左足、右手、左手を意識しながら交互に出して歩いているだろうか?意識はしていないよね?


あなたは、食事をするときに、右手にお箸をもって、左手にお茶わんを持って、意識しながらそれをうまく動かしながらごはんを食べているだろうか?意識はしていないよね?


あなたは、車の運転をするときに、手でハンドルを握り、足でアクセルとブレーキを使い分けていると思うが、それを意識していつも運転しているだろうか?意識はしていないよね?


まあ、ここまで言われても「なるほど、俺は毎日ほとんど無意識で生活しているんだ。」と納得する人は少ないのではないだろうか?

 

別に無理して「自分は殆ど無意識で生活している。」なんて思う必要はサラサラない。


大事なことは、次の事なのである。


「人間の頭の中には、意識を司る部分と無意識を司る部分がある。」

「人間の行動を本質的に決めているのは、そのうちの無意識の部分なのである。」


病気が何故治るのか?という命題をとことん考え詰めていくとこの「無意識の問題」に関ってきてしまうのだ。

 

人間の行動がその人の無意識によって決まってしまうとすると、その人の頭の中の「無意識」のレベルにどういう情報が入るか?ということがすごく大切になってきますよね?


よーく自分のことを考えてみると面白いかも知れない。

 

自分の姿勢、歩き方、しゃべり方、表情など普段意識していないところに自分の無意識が表出されるのだ。

 

悲しいときに、うつむき加減の姿勢で歩行する。

嬉しいときに表情が明るくなる。

悲嘆にくれていると、自然に声が小さくなる。

 

このようなことはすべて「無意識」の為せる技なのである。

 

これを意識してやる人はまず、いないのではないか?と思います。


「病気が治る」というのも「無意識」の為せる技なのである。

 

病気は理屈で治るわけではない。理屈を知っていたほうがもしかしたら治りやすいかも知れないが。

 

でも、理屈を知ったからと言って「病気が治る」わけではない。


そこで出てくる話が、以前に書いたことがある「イメージの力」(暗示の力)なのである。

 

これが、「病気を治す」時に一番大切なことなんだ。自分の頭の中の「無意識」のレベルに「暗示」を入れることが大切なんだ。

 

                                     (戻る)