我々人間はもっと謙虚にならなくちゃいけないと思う。
人間って何でも知っているような顔をしているけれども、その実は何にも知らないのだ。此れから先のことは、もちろんわからない。
自動車の構造がしっかりわかって運転している人は数少ないだろう。
コンピューターの中がどうなっているかわかっていて、メールを出している人も数少ないだろう。
まあ、それでも生活するのに不便ではないからまあいいか。
でも、人間の身体は少し違う。
自動車やコンピューターと違うところは、それが壊れたときにはっきりと出てくる。
人間の場合は、部品をそう簡単に変えられないことだ。最近でこそ、臓器移植が少しずつおこなわれるようにはなってきたが。
じゃあ人間の場合、壊れたらどうするのか?
もちろん、修理をするわけだが、どういうふうに修理するのか?
まず、薬というものを使うのだ。
しかし、これは原則としてとりあえず応急処置に使うものである。
血圧が上がったら、それを下げるために降圧剤。
痛みがあるときは、それを鎮めるために鎮痛剤。
いつまでもだらだら使っていると、いろいろまずいことが起こってくるのだ。
副作用である。
薬というものは、もともと身体の中に存在していたものではない。
一時的に修理をして、大体元の身体の働きに戻す為に使うものである。
だから、本当は大体元の身体の働きに戻った時点で、薬はやめるべきものなのである。
いつまでも薬をだらだら使っていると、いろいろ身体がおかしくなってくるのも当たり前なのだ。
本来、身体は薬など必要ないようにできているからだ。
だから、考えなくてはいけないのは何故、薬が必要な身体になってしまったのか?ということなのだ。
この意味では薬も手術も同じなのだ。
「手術で癌が治った。」という言い方は本当はおかしいのだ。
「手術で癌をとった。」という言い方が正しい。
人間は自分のことは自分が一番わかっている、と考えている。
これが大きな間違いなのだ。
自分の体の中で何が起こっているのか?
自分の脳の中で、自分の胸の中で、自分の腹の中で、何が起こっているのか?
よくわかっていたら、安心して生活できないのではないか?
もし、自分で頭の血管がもう少しで切れそうなことがわかっていたら。
胃に癌が出来てきているのがわかっていたらどうする?
肝臓の細胞がどんどん壊れていくのが自分でわかっていたらどうする?
不安で仕方ないんじゃないか?
落ち着いて仕事をしたり、フランス料理を食べたりできないんじゃないか?
我々人間はもっと謙虚にならなくちゃいけないと思う。
我々は、自分のことなんか何にもわかっていないのだ。
「おまえはバカ野郎だ。」と言われたら「ああ、そうかも知れない。」と考える余裕が欲しい。
自分に対する悪口、雑言に対して、それを一度受け入れる大きな気持ちを持っていたい。
もっともっと考えて、悩んで、自分のことを振り返って、考えて、悩む。
そして、行動する。我々人間はどうしようもない馬鹿野郎なんだ。
自分の事すら何もわかっていないどうしようもない存在なのだ。