海外に出てみて、アトピーについていろいろ考えさせられることがあります。
たとえば、大学の寮にいるのですが、とてもきれいとはいえない住環境です。
じゅうたんだし、布団だってものすごい毛羽立っているし、ダニなんて言い出したらきっと自分の家の何倍もいるはず。だけど、良くなっているのです。
ついたばかりの時は、シルが固まって緑色になっているところがあって変なにおいもしていたのでなにかヤバイかと思っていました。
でも、そんなことを気にしているどころではないのです。
水を飲むために、店の場所を知っている人をさがし、その人にお店の場所を聞いて、遠いところまで歩いていきます。
電話をかけるためにはまた場所を探してお金をくずしてもらい、かけ方をしっている人をさがして、その通りにかけます。
ただ基本的な生活を営むために、いろいろな努力をしないとだめなのです。
そうしているうちに自分の意識がアトピーからまったく離れていることに気づきます。
悪くなっていても、自分の肌に意識をもっていくヒマがないのです。
そうすると自然に顔を触る回数も減っていきます。夜はぐったり疲れて熟睡します。
気にすることもなくいるので、少しストレスが軽減されます。そしていつのまにか症状が軽くなっているのです。
これは一体なんでしょう? 心配してもちっとも良くならないということです。
クヨクヨするとかえって無意識のうちに 触ってしまうので、悪影響だということです。
やっぱりアトピーは一部心の病気なのでしょうか。
この文章は、私がよく見ている「アトピー掲示板」に出ていた男子大学生?からの投稿文です。
文章の上手下手は無視し、私は思わず感心して、コピーを取って、ここに引用しました。
何故、感心したかと言いますと、ここに病気が治る事の本質があると思ったからです。
「病気が治る。」ということは、結果である、という事。
始めはもしかしたら「病気を治そう」と思って、やったかもしれないが、途中からそんなことは忘れて、一所懸命やっているうちに気がついたら「病気が良くなっていた。」という事。
決して病気を治そうとしてやったのではない、という事。
やるべき事を一所懸命やっているうちに、気がついたら「病気が良くなっていた。」という事。
他人に助けを求めず、自分で考え、悩み、行動する、という事。
諦めとは違う「病気なんかに、かまっていられない。」という気持ちになっていた事。
「私には、やらなくてはいけない大事なことがあるんだ」という気持ちで生活している事。
高校生や大学生が一人暮らしを始めて、病気が良くなることが多いのも、これと同じなんでしょう。
実家で、「上げ膳、据え膳」で生活していた人間が外に出て、洗濯、掃除、食事から公共料金の振り込みまで、何から何まで自分でやらなくてはならなくなった時一所懸命にならざるを得ない。
こういう状況とこの投稿者の心境は近いものがあるかもしれない、と考えたのです。
私は「安っぽい精神論」は大嫌いです。
「根性」とか「やる気」とか「気合い」とか、そんなものは、クソクラエ、と思っています。
行動を伴わない、そんな言葉は全く無用のものだと思っています。
大事なことは「行動」なのです。「行動」あるのみなのです。
「自分をもっと辛い、厳しい、切羽詰まった環境に置く。」勇気。これが必要なんです。
「若い時の苦労は、買ってでもしろ。」と、先人は言いました。
今の時代、これはなかなか難しい事なのかもしれません。
「楽なこと、楽なことを求める習慣を少しずつ変えていく。」これでいいのかもしれません。
要は、自分の考え方一つでしょう。
多くの患者さん達を見ていて「暇なんだなあ。」と思うのは、私だけでしょうか?